何者/朝井リョウ

何者

何者


『何者』にちっとも共感しない。意味がわからない。理解できない。
そんな人がもしいるとしたら、その人は神様だと思う。


同世代の作家、朝井リョウさんの最新作。
これまでの作品は、えげつない心理描写をしながらも、綺麗な登場人物たちでした。今回は、えげつなさ90%です。『最後の恋 men's』というアンソロジーに収録されている「水曜日の南階段はきれい」の光太郎だけ、きれい。


そういえば『最後の恋』の感想を書いていない。
まぁいいか。「水曜日の南階段はきれい」は、高校生の光太郎が主人公。『何者』は、就活生になった光太郎の同居人、拓人目線の物語。


私は今、就活生です。
就活前、就活中、就活後……どの立場で読むかによって、感じることは様々だと思うのです。つくづく、本は出会いだなあ。


ただ、これはこの小説の、朝井さんの良さでもあり悪いところでもあるのだけど、現代人にしか楽しめない小説なんですよね。ツイッターをやっている人、やっていない人。この小説の大切な部分だから、わからない大人は、朝井さんを蔑んだり、現代を憂いたり、時の流れを寂しく思ったりするのかもしれない。


作者と同世代でよかった。
小説の中の人と、育っていける。

作家が、同世代になる年齢になってしまった。
働くことが身近になってくる。


読んでいる間中、ずっと、そわそわしていました。
私はこの中だったら間違いなく拓人くんに近い。
まだ大丈夫、拓人くんの考えに共感してても大丈夫。


ラスト、背筋が凍るラスト。これはホラーだと思った。
私はこの中だったら間違いなく拓人くんに近い。
でも、近いだけだ。拓人くんじゃない。本当に?そう思いたいだけじゃない?
自分が客観視できているか不安になるのです。いくらごまかしていても、自分のことは自分が一番知っているから。特に、自己分析なんて言って、自分と向き合わなければいけない時期。私は拓人くんに近いけど、うん、大丈夫、あんなことはしていない。


思っていたり、人に話したり、そういうことなら光太郎もしている。
でも光太郎は許される。そんな人になれたら楽だけど、なっていいのか。


私は自分が「何者」にもなれないことを知っている。
でも、知っているふりだったらどうしよう。
こうやってブログを書いていることすら、「何者」に見られている気がする。


サワ先輩になりたいと思った。たぶん、この小説を読んだ誰もが、サワ先輩に憧れると思う。でも、そんなことを思ってみたところで、なれないことを知っている。こっちは、知っているふりでは絶対にない。悲しいくらい、絶対にない。


理香の言葉が心に重くのしかかるから、ここにも書きたいんだけど、そこに至るまでの彼らの姿を見た方が絶対に重い。だから書けない。


***


朝井リョウさんと窪美澄さんのトークショー&サイン会に行ってきました。
『何者』のサイン会だから、やはり、「就活生なんです」と言いました。


「おっまさに!じゃあこれしかないですね!」
と、朝井さんが私にくれたのがこちらです。




字がきれいで、おもしろくて、かっこいい。
同世代だからつい、お友だちになりたいと思ってしまう。
イベントの感想はまた、書こうと思ったときに書きます。では。