底辺女子高生/豊島ミホ

まずは、私と豊島ミホさんの関係について。


・『檸檬のころ』で豊島デビュー
・『檸檬のころ』が気に入り、以後、豊島作品を読み漁る。
・全然ハマらない。
・そろそろ潮時……と思っていた頃、『神田川デイズ』を読む。
・少し持ち直す。
・しかし、『ぽろぽろドール』にて豊島作品は苦手と結論付ける。絶縁を誓う。
・しかし、『初恋素描帖』の表紙が漫画家浅野いにおだったため、誘惑に負ける。
・『初恋素描帖』に惚れ、絶縁宣言を簡単に撤回。
・エッセイ集『やさぐれるには、まだ早い!』で豊島さんの生き方を好きになる。
・豊島ファンの友達にずっと薦められていた『底辺女子高生』を再度薦められる。
・ふーん、で済ます。

・文庫『夏が僕を抱く』が発売される。
・(バイト先の書店にて)「そのうち買おー」と思う。
・気付いたらすべて返品されている。
・仕方ないので注文手続き。
・あれ、私豊島作品(文庫は、エッセイ以外)全部読んだと思っていたのに、知らないやつがある。え、絶版!?まだチェーン店内に4冊ある!今じゃなきゃダメなんだ!ということで注文。
・どうせなら『底辺女子高生』も読もう。はい、注文。

・ついで扱いだった『底辺女子高生』を最初に読む。


というわけで、感想です。


◆底辺女子高生/豊島ミホ

底辺女子高生 (幻冬舎文庫)

底辺女子高生 (幻冬舎文庫)


胸が痛い!


やさぐれるには、まだ早い!」は、現在に近いエッセイかつ、一切愚痴のないエッセイ集でした。作家業を休憩中(今もかな?)の彼女の現状に胸が痛むことはあったけれど、それとは比べ物にならない、というか、全く別の胸の痛みでした。


「底辺女子高生」とはその名の通り、高校という狭い世界でのピラミッドの中で、底辺の位置にいた豊島ミホ自身の過去のお話。なぜ胸が痛むかといいますと、どこの高校、または中学にも、豊島ミホは必ず存在するからなのです。そして私は少なくとも底辺ではなかった。だから彼女がクラスメイトについて記述すると、自分のことを言われているようで、恥ずかしくなるのです。


底辺だなんて、みんなが蔑みそうなもの。でも、これを読んだ人は、笑いながら感動しながら、豊島ミホをすごいと思うはず。『ひらいて』の記事で、豊島ミホ綿矢りさの小説の女子に似ていると言ったのは、ここなのです。小説の主人公のように、豊島ミホはかっこよかった。


今の状況が嫌だから、家出したり、授業に出なかったり、学校を辞めそうになったり、留年しそうになったり、卒業式に卒業できなかったり……かっこいいでしょ!


それぞれのエピソードが面白くて、たまに感動して、小説にできてしまいそう。『初恋素描帖』のあとがきで、豊島さんは「自分の中学生活を出してしまうなんてもったいない!」という趣旨のことを言っていた。このエッセイは高校生活についてだけれど、その意味がわかるような気がしました。小さい頃から、この話はネタになる、だなんて。そういう考えの人が私は好きです。


胸が痛い!と言ったけど、中でも、保健室に逃げていた頃の話がきつかった。私も高3の頃たびたび授業をサボって保健室に行っていたけれど、それは仮病で、保健室で寝たかったからなのです。そこにいました、豊島ミホが。堂々と保健室でおしゃべりする保健室の住人が。私は彼女らが嫌でした。授業ぐらい出ろよ、と思いました。自分も出てないけど。そう思う気持ちは今も変わりませんが、このエッセイに限っては、そういうふうには思わなかったです。授業出ろよ、と思っていた自分を消したい衝動に駆られるほど。語られる人の立場によって、悪者は変わる。女子だなぁ、と思いました。


高校生の豊島ミホさんと、高校生の私。
たぶんおそらく相容れない関係でしょう。
だけど、『底辺女子高生』の豊島ミホのことは好きで、仲良くなりたい。
そう思わせるのは豊島さんの文章で、だから豊島さんは作家さんなのだと思いました。


色々書いたけど、おもしろかったです。
薦めてくれていたお友だちに感謝。でも表紙は「やさぐれるには、まだ早い!」のが好きだなぁ。